松が風に吹かれ、笛のようにぞれぞれの音を奏でている。風はどの松にも平等に吹いており、選り好みをしません。私たちも風を感じ、自分らしい人生の音を奏でましょう。
白い銀のお椀に白い雪を盛る。銀と雪はそれぞれの美しさがあり区別されるものです。一方で銀と雪の白さが相まって区別のない平等の世界の美しさも共に見るのが禅の心です。
清流は休みなく流れています。この清流は私達の人生そのもので、私たちの人生も時々刻々と動いており、毎日が新しい人生なのです。常に新しい心で生きていくことが大切です。
世の中は思い通りにならないことが多々あります。あらゆる困難に直面しても、正しく物事を判断し行動するために、周囲に惑わされない平常心を心がけましょう。
「人は皆、自分のみたいものしか見ようとしない(カエサル)」
自分の都合だけで見てしまうと誤解や偏見、差別につながります。正しく行動するために事実をありのままに見る如実知見を心がけましょう。
雨の中では明るく輝く太陽を見ることはできませんが太陽が消えたわけではありません。
目に見えるものだけが全てではなく、視点を変えることで見えてくるものがあります。
長い竹ざおの一番先、つまり、これ以上先に行けない所から、さらに歩を進める。
自分で限界を決めずに、さらに一歩を踏み出し、乗りこえていくことで道は開けます。
私が今ここに生きているのは、ご先祖様をはじめ共に生きる多くの生命とのつながりのお陰です。
盂蘭盆(ウルヴァン)は、お世話になったあらゆる御霊(みたま)をご供養する行事です。
花には清らかな香りがあり、月の光には影がある。花や月のように人間のあり方も様々です。
一人一人に個性や魅力があり、それを発揮してこそのよさがあるのです。
水を手で掬(すく)えば月が手の中に映ります。水を掬うという行動を起こすことではじめて月を手に入れるという結果が得られるのです。目標に向かって一歩を踏み出しましょう。
仏法とは悪いことをせず善いことだけをすること。誰でも知っていることですが、私たちには煩悩があるため完全に行うことは難しいものです。
当たり前のことを当たり前に実践することが大切なのです。
人生では順風の時もあれば逆風の時もあり、風向きによって一喜一憂して心が揺れています。しかし、心を平静にして天を見上げれば、どのような時でも月は輝いています。
たとえ千里離れた場所にいて、言葉を交わすことがなくても、お互いに思いを同じくして、心がつながっていれば、それぞれの場所に同じ風が吹き、ともに歩んでいくことができる。
足りていることを知る者は、たとえ貧困であっても心が満たされており安らかである。
足りていることを知らない者は、どんなに裕福であっても心が満たされず常に不安である。
周囲の人と比べたり評価を気にしたりすることをやめて自分自身に目を向けてみる。
自分にとって本当に大切なことは何なのか?
自分の心に問いかけてみてください。
人は誰しもが同じではありません。しかし偏見を捨て、清らかで静かな心をもち、お互いに尊敬し、認め合うことで、たとえ違っていても仲良くなれます。敬う心が和をつくるのです。
自分の思いだけにこだわり過ぎると視野が狭くなります。
一度こだわりや思い込みを手放し、心を柔らかくしてみましょう。今まで気づかなかったものが見えてくるはずです。
明珠(大切な宝)は遠くに探し求めるものではなく、すでにあなたの手の中にある。
あなたにとって本当に大切なことは何ですか?
改めて自分を見つめ直してみてください。
坐禅では家に帰ってくつろぐように、本来の自分に戻って穏やかな心で座ります。
ストレスが多く生きづらい日常を一度離れて、ただ静かに座ってみてはいかがでしょうか。
私たちは多くのご縁に支えられながら共に生きています。
日々の生活は当たり前のことではなく大変有り難いことなのです。
ご縁に感謝する気持ちを忘れずにいましょう。
足元を見直しなさい。
他人のことはよく気づきますが、自分のことは気づきにくいものです。
他人について意見する前に、自分に目を向けて、まずは自分の行いをしっかりととのえましょう。
大機(チャンス)は日常のあらゆるところにあります。
大機に気づき、その大機を活かして行動すること(大用)ができれば、人生が大きく変わっていきます。
人は自分で水を飲んで初めて冷たい温かいを知ることができるの意。
何事も頭で考えているだけでは真実はわかりません。自分で実際に経験することこそが大事です。
自分のすべきことを一心に行い、煩悩に惑わされることなく、心を安らかに保つこと。
欲が多ければ迷いも増します。力を尽くしたら、仏様に身を委ね、心を落ち着けていきましょう。
どのような日であっても一瞬一瞬を悔いのないように生きることができればその日は好日となります。毎日が好日となるように、今この瞬間を大切にしましょう。
貪り(むさぼり)、怒り(いかり)、愚かさ(おろかさ)の三つの煩悩(ぼんのう)が苦しみの原因となります。どのような状況にあっても、煩悩に振り回されず心を落ち着けましょう。心が静まれば新しい道が見えてきます。
私の身体や心はすべて両親をはじめ、これまで出会ってきた多くの人々、動植物や大自然からいただいたものの和合であり、自分だけで存在しているものはありません。
こだわりが強すぎると上手くいかないことも多く、不安や怒りで心が落ち着かなくなる。
心にため込んだ荷物を下ろすことができれば心地よい清風が吹いてくる。
何事もなく静かにのんびりと同じような毎日を過ごす。平凡で退屈にも見えますが、何事もなく、いつも通りのことを当たり前にできることは有難く、幸せなことなのです。
鳥のひなが卵から出ようと鳴く声と、母鳥が外から殻をつつくのが同時であること。
相手に大切なことを伝える時にも、お互いに「今」というタイミングがあります。
一つの物事に執着せず、空を行く雲や流れる水のように、自然の流れに身を任せて柔軟に物事を見てみる。様々な考えを見聞きすることで新たな気づきに出会えます。
確かなことではないのに、絶対そうだと思い込んでしまい、思うように動けず、あきらめてしまうこと。固定観念を捨てて、現実を見つめ直してみましょう。
今やるべきことは何か。余計なことを考えずに、一つの事を集中して行う。
目の前の事を一つ一つていねいに行っていけば、迷いや不安が消えていきます。
相手の気持ちを察して、先に相手のために何ができるのかを自分自身に問う。
そして、相手が笑顔になれるように、自分からおだやかな笑顔でやさしい言葉をかける。
真実は別の所にあるのではなく、今あなたの目の前にあるもの全てが真実の姿を現しています。自分の思い込みでごまかしたりせずに、ありのままを正しく見てみましょう。
主人公とは自分の中にある純粋に相手を思いやる心のこと。この仏さまのような清らかな心を本来の自分と信じて煩悩に迷うことなく主体的に行動しましょう。
施す人、受ける人、施した物の三つが清らかなこと。私があなたのためにしてあげたのにという思いに執着して見返りを求めてしまうと善意の押し付けになってしまいます。
布施とは財施(金品)、法施(仏法を説く)、無畏施(相手の不安や恐れを取り除く)の三施。悩み苦しんでいる人がいたら思いやりの心を持って手を差し伸べましょう。
一切の悪事を行わない。悪事とは相手のことを考えず自分さえ良ければという思いに執着する煩悩のこと。煩悩は誰の心にもある。皆ともに生きていることを忘れずに自分勝手な行動は控えましょう。
善い行いとは自分さえ良ければという煩悩を離れ、相手のために行動すること。相手を敬い、思いやりの心を持って、相手のためにできることをすすんで行いましょう。
衆生とは動物や植物を含めた全ての生命のこと。生命はつながり合い、共に生きています。生命ある全てのものの幸せを願い、今、私にできることを実践していきましょう。
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