~悩みを抱えている方へ、仏教からのメッセージ~
「こころに向き合う」は大本山永平寺別院『別院だより』に掲載されたものです。(2013年~2020年)
自分らしい生き方をするために、自分に目を向け、自己理解を深めてきました。
仏教では「自分とは何か?」という問いが重要になります。道元禅師(どうげんぜんじ)は「仏道(ぶつどう)をならうというは、自己をならうなり」と説かれました。では、自分とは何なのでしょうか?
お釈迦(しゃか)さまは「自分とは何か?」という問いに対して「無我(むが)」と説かれました。自分探しを進めてきた結果、「自分がない」とはどういうことなのでしょうか?
私の身体や心は、私が作り出したものではありません。身体や心は両親からいただいたものです。そして、身体を維持するために、呼吸をし、水分を補給し、動物や植物のいのちを食物としていただいて暮らしています。また、家族や友人をはじめ、これまで出会ってきた多くの人びととともに、様々な経験をすることによって、心を育んできました。
今ある私の身体や心は、すべて両親をはじめ、私が出会ってきた多くの人びと、動物や植物、さらには大自然からいただいたものなのです。自分というものをいくら探しても、すべて他からいただいたものの和合であり、「自分だけ」で存在しているものはないのです。
人間や動植物など生きとし生けるすべてのいのちや大自然とのつながりは、地球全体、宇宙全体まで広がります。そのすべてが和合したものを「自分」と呼んでいるのです。そして、宇宙全体までに広がるつながりの中で、多くのいのちに支えられ、生かされている姿が、私の本来の姿なのです。
これは私の身体だけではありません。人間、動植物など生きとし生けるすべてのいのちが、私と同じように、いのちのつながりによって誕生し、今を生きているのです。いのちの視点に立てば、私も他の人びとも動物も植物も等しくいのちなる存在であり、区別はありません。
自己確知、自己受容、自己成熟、自他同事と自己理解を深めてきましたが、さらに、自他の枠を超えた大自然やいのちとのつながりの中で生かされている自己に出会う段階を「一如(いちにょ)」といいます。
お釈迦さまは一如の視点に立ち、自他の区別なく、平等な立場で相手と接すること。また、いのちのつながりへの感謝を忘れず、多くの仲間とともにお互いに支え合って生きることが自分にふさわしい生き方だと考え、共に生きる喜びを感じながら安心の中で日々を過ごされました。私たちもお釈迦さまのような安心が得られるように、改めて「自分とは何か?」と自分自身に問いかけてみてはいかがでしょうか。
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