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百番観音(相模原市文化財)・安産守白子観音を祀る観音霊場

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緑区上九沢264

こころに向き合うBUDDHISM

こころに向き合う

こころに向き合う

~悩みを抱えている方へ、仏教からのメッセージ~

「こころに向き合う」は大本山永平寺別院『別院だより』に掲載されたものです。(2013年~2020年)

筆者(住職 舘盛寛行)略歴

第29回 無所得無所悟

~無駄に時間を過ごしていると感じることはありませんか?~

目標が見つからずに、無駄に時間を過ごしていると感じたことはありませんか?

私たちは幼少の頃から「あなたの目標は?」という問いかけを数多く受けて来ました。それは、目標を持つことで何をすれば良いのかが明確になり、目標に向かって努力し成長できるようになるからです。また、目標を持つことで、日常の生活に意味を見出すことができ、達成感や満足感が得られ、充実した人生につながっていくからです。

仏教においても仏の道を志す心である発心(ほっしん 発菩提心 ほつぼだいしん)や仏道(ぶつどう)を成就(じょうじゅ)しようという誓願(せいがん)が大切になります。発心や誓願があるからこそ、たとえ厳しい修行であっても続けることができるのです。

しかし、目標がすぐに見つかるとは限りません。また、目指していた道を断たれ目標を見失ってしまうこともあります。目標を持つことは大切なのですが、こだわり過ぎると、目標のない日々や目標から外れたこと行動が無駄に思えたり、人生も意味のないものに思えてしまいます。

目標に向かって努力すべきだという考えもありますが、たとえ目標がなくても充実した時間を過ごすことはできます。

道元禅師(どうげんぜんじ)は「無所得無所悟(むしょとくむしょご)」つまり何も得ようとせず、何も悟ろうとはせず、ただひたすらに坐禅(ざぜん)をして時を過ごすことが仏道であると説かれました。

私たちは何か行動する時に、その行動の目的や得られる結果を求めてしまいます。しかし、坐禅では求める心を手放さなければ、仏道にはならないというのです。求める心はこだわりや執着(しゅうじゃく)となり、執着が苦の原因となるからです。

目標の有無にこだわるのではなく、今ここに生きていることを感じてみましょう。私の身体や心は、たとえ私自身が気づいていなくても精一杯生きています。そして、私の身体と心は無我(むが)、つまり、自分だけで存在しているのではなく、すべて両親をはじめ、私が出会ってきた多くの人びと、動物や植物、さらには大自然など、他からいただいたものの和合(わごう)として存在し、多くのご縁に支えられながら生かされています。

私たちは今、この瞬間もいのちのつながりの中で十分に満たされて生きているのです。そのことに気づくことができれば、どのような道に進むことになっても、一つひとつが貴重な経験となり、充実した今を過ごすことができるはずです。



→ 目次へ(こころに向き合う 全32回)


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